
中国農民工定義:制度と実態調査
文書情報
著者 | 曹 迪 |
学校 | 北海学園大学大学院経済学研究科 |
専攻 | 経済学 |
場所 | 札幌市(北海学園大学の位置から推測) |
文書タイプ | 修士論文(研究年報掲載から推測) |
言語 | Japanese |
フォーマット | |
サイズ | 2.89 MB |
概要
I.中国の農民工問題と戸籍制度 改革開放政策の影響
本論文は、中国の深刻な社会問題である農民工問題を、戸籍制度という歴史的文脈から分析します。改革開放政策以降、農村部から都市部への大規模な人口移動が加速し、戸籍制度によって生じる都市と農村の経済格差、二元社会構造が農民工の貧困や差別を生み出しているという問題意識に立脚しています。特に、農村戸籍を持つ農民が都市部で働く際、社会保障や就業機会の不平等に直面する現状が焦点となります。三農問題の解決において、農民工問題は避けて通れない最大の難関であり、その解決には、戸籍制度改革が不可欠であると論じています。
1. 農民工問題の本質と戸籍制度の役割
筆者は、三農問題の本質を農業・農村における農民の貧困と、農民工が置かれている貧困と差別にあると指摘しています。1958年の戸籍登録条例の制定により、農村戸籍と都市戸籍が峻別され、膨大な人口が農村に固定化されました。これは、中国社会経済の変動に関わらず、農村部の貧困を恒常化させる要因となりました。しかし、改革開放政策後の市場経済の発展は、貧困からの脱却を目指す農民を都市部に引き寄せました。農業・農村を離れずに農外所得を得る手段として郷鎮企業が台頭し、都市部の労働力不足を背景に農村から都市への労働力移動、つまり出稼ぎ労働者(農民工)が顕在化しました。農民工の発生は、戸籍制度による農村部への人口固定化と、改革開放政策による市場経済の進展という二つの対照的な社会経済構造の変化が絡み合った結果と言えるでしょう。この二つの社会構造が農民工問題の根底にあり、農民工の貧困と差別を生み出しているという点が強調されています。特に、1958年の戸籍登録条例は、農民工問題を考える上で非常に重要な歴史的転換点として位置づけられています。
2. 改革開放政策と都市 農村間の格差拡大
1978年からの鄧小平による改革開放政策は、中国経済の驚異的な発展をもたらしました。鄧小平の「先富論」に基づく政策は、沿海部への経済特区設置など、地域間の経済発展の不平等を容認するものでした。その結果、都市と農村間の経済格差、所得格差が拡大しました。沿海部と内陸部の格差拡大は、農村部から都市部への人口移動を加速させ、農民工問題を深刻化させた重要な要因の一つです。この先富論と、それに基づく経済特区や経済開発区の設立は、都市部への経済集中を促進し、結果的に農村部の発展の遅れと農民の貧困化を招いたと解釈できます。1988年には、沿海地区を優先的に発展させ、その後で中西部地域を支援するという政策も採られました。この政策もまた、地域間の経済格差を拡大させる結果につながったと考えられます。これらの政策は、中国の経済成長に大きく貢献した一方、農村と都市の格差を拡大させ、農民工問題の発生と深刻化に大きく影響を与えた重要な要因と言えるでしょう。
3. 中国政府の政策対応 農業税改革を中心に
中国政府は、三農問題と農民工問題の解決に向けて、数次にわたる政策を打ち出しています。その代表的な例として、農業税改革が挙げられます。2003年から開始された農業税改革は、農民の負担軽減と農村経済の活性化を目的として、2006年には農業税が全国的に廃止されました。この農業税改革は、農民の収入増加と農村経済の持続的発展を目指した政策であり、農民工問題の解決にも間接的に貢献すると考えられています。2004年の「一号文書」では、農業税の減免と直接支払い制度の導入が重要な政策として挙げられています。農業税の減免は郷鎮政府の財政基盤を揺るがし、中国の行政体制改革にも影響を与えました。また、直接支払い制度は食糧流通体制の市場化改革を促進し、農家の収入増加に繋がると期待されていました。これらの政策は、農民の負担軽減と収入増加という点では一定の効果があったものの、農民工問題の本質的な解決には至らなかった、という点が重要です。これらの政策が、農民工問題の解決にどのように貢献し、あるいは貢献しなかったのか、という点が今後の研究課題として残されています。
4. 三農問題と農民工問題の関連性 戸籍制度の課題
多くの研究者(例: 温鉄軍、李昌平、厳善平、陳錫文など)は、社会主義市場経済下での三農問題(農業、農村、農民の問題)の解決が、小康社会建設にとって最大の難関であると指摘しています。三農問題は、農民の収入増加、食糧安全、農民の基本的権利、農民の資質向上、そして農民の物質的・民主的権利保障という5つの主要な課題から成り立っています。これらの課題の中でも、農民の基本的権利を大きく阻害する戸籍制度が、農民工問題と深く関わっており、農民工問題を深刻化させていると指摘されています。戸籍制度は、都市と農村の二元構造、いわゆる城郷分治を維持する重要な要因であり、農民工の都市部における就労、社会保障、教育、医療などの面で不平等を生み出しています。そのため、三農問題、ひいては小康社会の建設において、戸籍制度改革が不可欠であることが強調されています。具体的には、戸籍制度の改革によって、農民工の都市への自由な移動、就業機会の平等化、社会保障の享受など、農民工の権利と福祉の向上を実現する必要があるとされています。
II.戸籍制度の歴史的変遷と農民工の発生
1958年の中華人民共和国戸籍登録条例公布以降、厳格な戸籍管理により農村部への人口固定化が進められました。これは、重工業優先政策の下、都市への人口流入による社会不安を抑制するための手段でした。しかし、改革開放政策による市場経済の進展と郷鎮企業の発展は、農村部から都市部への労働力移動(出稼ぎ労働者)を促進し、農民工という新たな社会階層を生み出しました。1979年以降、戸籍制度改革は前進と後退を繰り返しながらも、部分的な緩和が行われてきました。石家荘市(2001年改革で44万6500人が戸籍取得)などの事例は、戸籍制度改革の現状と課題を示しています。
1. 1958年戸籍登録条例と農村人口の固定化
中華人民共和国成立後、特に1958年の戸籍登録条例の施行により、農村戸籍と都市戸籍が厳格に区分されました。これにより、中国社会経済の変動に関わらず、膨大な農村人口は農村部に固定化され続けました。都市部への移動は厳しく制限され、農民は都市部における就労や生活にアクセスすることが困難な状況に置かれました。この戸籍制度は、計画経済下での重工業優先政策を支えるため、農村からの労働力の流出を防ぐという目的がありました。都市部では、政府による食糧や生活必需品の配給制度が整備され、都市住民は一定の生活保障を受ける一方、農村住民は自力で生活を維持しなければなりませんでした。この制度は、都市と農村の間に明確な二元社会構造を作り出し、農村部の貧困を恒常化させる要因となりました。1954年憲法では移転の自由が謳われていましたが、戸籍制度の実施により、この条文は有名無実化しました。1975年の憲法改正では、この条文は完全に削除されています。この戸籍制度が、後の農民工問題の発生に大きな影響を与えたことは明らかです。
2. 改革開放政策と郷鎮企業の勃興 農民工の出現
改革開放政策(1978年開始)以降、市場経済の進展に伴い、農村部では郷鎮企業が急速に発展しました。郷鎮企業は、農民が農業・農村を離れずに農外所得を得ることができる場として機能し、農村部の経済活性化に貢献しました。しかし同時に、都市部での経済発展による労働力不足は、農村から都市への大規模な労働力移動を引き起こし、農民工という新たな社会階層が出現しました。農民工は、農村戸籍を持ちながら都市部で非農業部門に従事する労働者であり、戸籍制度による制限や差別を受けながら生活しています。彼らの出現は、改革開放政策がもたらした経済発展の一側面であり、同時に戸籍制度が抱える問題を浮き彫りにしました。特に、郷鎮企業の発展は農村経済に活気を与えましたが、その発展の限界や問題点も指摘されています。1990年代半ばには郷鎮企業の発展が鈍化し、農村余剰労働力の吸収能力が低下したことも、農民工問題の深刻化に繋がったと考えられます。
3. 戸籍制度改革の試行錯誤 前進と後退
1979年以降、戸籍制度改革は試行錯誤を繰り返してきました。国務院による「農民の集鎮への定住又は戸籍取得に関する通知」(1984年)以降、徐々に戸籍制度の緩和が進められてきましたが、二元戸籍制度の全面撤廃には至っていません。石家荘市は2001年、大胆な戸籍改革を実施し、多くの農民が都市戸籍を取得しました。しかし、市政府の予想を下回る結果となり、戸籍制度改革の難しさが示されました。2005年から2007年にかけては政府公認のもと部分的な改革が進み、2008年以降は地方政府主導による改革が加速しました。しかし、特に大都市では、戸籍制度の維持が強固であり、農民工への差別的な政策が継続されている現状が見られます。北京市では、外来労働者(農民工を含む)の雇用制限など、戸籍制度に基づく差別的な政策が指摘されています。このように、戸籍制度改革は、前進と後退を繰り返し、未だに完全な解決に至っていないという点が重要です。この複雑な歴史的経緯を踏まえることで、農民工問題の構造的な理解を深めることが可能になります。
III.農民工が直面する課題と解決策
農民工は、低賃金、賃金未払い、長時間労働、劣悪な労働環境、社会保障の不足、職業訓練の不足などの問題に直面しています。これらの問題は、戸籍制度による差別、都市部の公共サービスへのアクセス制限、企業側の認識不足、農民工自身の意識の低さなどが原因として挙げられます。解決策としては、戸籍制度改革による城郷統合、農民工の権利保護、社会保障制度の充実、職業訓練の強化、都市と農村の経済格差是正などが不可欠です。中央政府の一号文書による農業支援策も重要な要素となります。
1. 農民工が直面する5つの主要な課題
農民工は、様々な困難に直面しています。まず、給与待遇と労働環境の悪さが挙げられます。低賃金、賃金未払い、長時間労働、安全対策の不足などが頻繁に発生し、労働者の権利が十分に守られていない状況です。次に、社会保障の不足が深刻な問題です。医療保険や年金などの社会保障制度が十分に整備されておらず、病気や怪我、老後の生活に不安を抱えている農民工が多くいます。さらに、都市政府による公共サービスの不足も課題です。住宅、教育、医療などの公共サービスにアクセスしづらい状況にあり、都市生活への適応が困難となっています。また、権益保護の不十分さも問題です。労働紛争が発生しても、適切な法的保護を受けられないケースが多く、農民工の権利が侵害される事態が頻繁に起きています。最後に、身分移動の困難さがあります。戸籍制度によって、都市戸籍を取得することが難しく、都市住民としての権利を享受することが制限されています。この身分移動の困難さは、他の問題をさらに深刻化させている要因の一つです。これらの課題は、農民工の生活の質を著しく低下させ、社会不安の要因にもなっています。
2. 課題の背景 企業と政府の責任
農民工の抱える課題は、企業と政府の責任と深く関わっています。企業側は、農民工に対する認識が薄く、労働条件の改善や法令遵守が不十分なケースが多く見られます。低賃金や長時間労働、安全対策の不足などは、企業側の意識改革が求められる問題です。また、政府も、企業に対する監督機能の不足や、農民工に対するサービス機能の不備が指摘されています。特に、戸籍制度は、就職差別、社会保障の不平等、公共サービスへのアクセス制限など、農民工が直面する問題の根本原因の一つとなっています。政府は、戸籍制度改革を通じて、農民工の都市部での就労環境を改善する努力をしていますが、効果は限定的です。城鎮公共就職管理サービスシステムを農民工にも開放するなど、抜本的な改革が求められています。さらに、農民工の賃金収入は増加傾向にあるものの、都市部での生活コストの上昇も急速なため、生活水準の向上は限定的です。都市住民と同様の公共資源やサービスを受けられない状況は、農民工の生活を圧迫し、就労意欲を低下させる要因となっています。これらの企業と政府の責任を明確にし、適切な対策を講じる必要があることが強調されています。
3. 解決策 戸籍制度改革と多角的な支援策
農民工問題の解決には、戸籍制度改革が不可欠です。戸籍制度による都市と農村の二元構造を解消し、農民工が都市住民と平等な権利を享受できるよう、制度的・社会的な障壁を取り除く必要があります。具体的には、全国的な統一労働市場の構築、就業機会の平等化、社会保障制度の充実、そして教育・医療などの公共サービスへのアクセス向上などが求められます。さらに、農民工の技能水準向上のための職業訓練の強化も重要です。多面的な農民工訓練体系の構築には、訓練資源の調整、訓練と市場の連携、そして政府による財政支援が必要です。中央政府と地方政府による財政支出、企業の貢献、さらには農民工自身の学習意欲を高める取り組みが不可欠となります。また、農村部のインフラ整備を進め、中小都市や小城鎮の発展を促進することで、農村部の雇用機会を増やし、農民工の都市部への流出を抑制することも重要です。これらの多角的なアプローチによって、農民工問題の解決に段階的に取り組んでいく必要があることが示唆されています。
IV.農民工問題に関する研究と政策提言
様々な研究者(例:温鉄軍、李昌平、劉懐廉など)による分析は、農民工問題の複雑さを明らかにしています。三農問題の解決、社会主義市場経済の確立、そして全面的な小康社会の建設には、農民工問題の解決が不可欠です。政策提言としては、戸籍制度の抜本的改革、農民工の権利保障、社会福祉の充実、都市と農村のバランスのとれた発展、農村部のインフラ整備などが挙げられます。特に、大都市への人口集中問題と、中小都市や郷鎮企業の活性化が重要な課題となります。
1. 農民工問題に関する研究 多様な視点と課題
農民工問題に関する研究は、様々な視点から行われています。 温鉄軍博士の「三農問題」概念、李昌平氏による農村の窮状を訴える手紙などが、社会的な関心の高まりを示しています。 三農問題、つまり農業、農村、農民の問題は、中国の改革開放と現代化建設の全体に関わる最重要課題として認識され、2003年には中国共産党中央委員会の工作報告にも明記されています。 厳善平氏や陳錫文氏などの研究者は、農民工問題を三農問題と深く関連づけて分析し、農民収入増加、食糧安全保障、農民の基本的権利、農民の資質向上、そして民主的権利保障という5つの主要な課題を指摘しています。これらの研究は、農民工問題が単なる労働問題ではなく、中国社会全体の構造的な問題であることを示唆しています。特に、戸籍制度の問題は農民工の権利を大きく制限し、問題を深刻化させていると指摘されています。 これらの研究成果は、農民工問題への理解を深める上で重要な役割を果たしていますが、同時に、農民工の定義や問題の複雑さ、そして解決策の多様性などを考慮すると、さらなる研究が必要であるということが示唆されています。
2. 農民工の現状と政策提言 劉懐廉氏の主張
劉懐廉氏は、農民工の権利保護の重要性を訴え、農民工の権益保障法の制定を強く主張しています。農民工を社会主義建設の重要な担い手と位置づけ、労働保障、社会保険、子女教育、賃金、休暇などにおいて都市住民と同等の待遇を受けるべきだと訴えています。これは、農民工に対する社会的な認識を高め、彼らの権利を保障するための具体的な政策提言です。 また、農民工の定義についても議論があり、戸籍上の身分や農地の所有状況を基準とすることの問題点が指摘されています。農地を所有しつつ地域外出稼ぎや地域内兼業をしている農村戸籍を持つ農村労働力も、農民工と捉えるべきであるとの意見があります。これは、農民工の定義を狭義から広義に拡大し、より現実的な対応を行う必要性を示唆しています。 農民工の権利保護や社会保障の充実、そして職業訓練の強化など、具体的な政策提言がなされていますが、これらの政策が効果的に実施されるためには、政府、企業、そして農民工自身の意識改革が不可欠であることが示唆されています。劉懐廉氏の主張は、農民工問題の解決に向けて具体的な行動を促すものであり、政策立案者や関係者にとって重要な指針となります。
3. 今後の課題と展望 戸籍制度改革の必要性
本論文では、農民工問題の解決には、戸籍制度の抜本的な改革が不可欠であると結論づけています。戸籍制度は、都市と農村の二元構造を維持し、農民工の権利を制限する主要な要因の一つであるためです。戸籍制度改革の方向性として、戸籍特権の撤廃、城郷二元構造の解消、そして全国的な統一労働市場や就業制度の確立などが提案されています。具体的には、居住地を基準とした常住戸籍制度への移行、戸籍と社会福祉の分離、そして大都市への移住コントロールと中小都市への移住緩和などが挙げられます。 また、農村部のインフラ整備や郷鎮企業の活性化を通じて、農村部の雇用機会を増やすことも重要な政策課題です。これにより、都市部への過剰な人口流入を抑制し、農村部の発展を促進することが期待できます。しかし、中西部地域と東部地域間の経済格差、都市部における生活コストの高騰といった問題も考慮する必要があり、これらの課題への対応が、今後の政策立案において重要なポイントとなるでしょう。最終的には、農民と農民工が、居住地や職業を自由に選択できるようになり、平等な権利と機会を享受できる社会の実現を目指すべきだと結論づけています。