話しことばにおける状況省略 ―

英語話ことばの状況省略:特徴と分析

文書情報

著者

澤田茂保

専攻 言語学
文書タイプ 論文
言語 Japanese
フォーマット | PDF
サイズ 1.61 MB

概要

I.英語話しことばにおける 状況省略 situational ellipsis の分析

本稿は、英語の話しことば(spoken language, SL)における状況省略 (situational ellipsis) を中心に考察する。特に、書かれた言語 (written language, WL) との比較を通して、省略 (ellipsis) 現象の特性、発生頻度、原因(情報処理英語音調の観点から)を分析する。CGELの分類(構造省略、テキスト省略、状況省略)を踏まえつつ、話し手・聞き手の情報共有、文頭における強勢の位置、リアルタイムの情報処理との関連性を明らかにする。

II.状況省略の特徴と分類 主語省略と目的語消失の非対称性

状況省略は、文法構造の平行性とは無関係に、文脈から容易に復元可能な情報(主に一人称・二人称代名詞主語、現在時制)の省略である。主語の省略は比較的頻度が高いが、目的語の消失は、動詞の意味変化を招くため、制限される。この主語と目的語の非対称性は、英語の命題構造と密接に関連している。 認識動詞(know, see, understandなど)の目的語省略については、さらなる研究が必要である。

1. 状況省略の定義と基本的な特徴

この小節では、状況省略の基本的な特徴を定義し、説明します。状況省略とは、文法構造上の平行性とは無関係に、文脈から容易に推測可能な情報が省略される現象です。特に、話し言葉(spoken language)において頻繁に観察されます。省略されるのは、典型的には、二人称代名詞(you)、次いで一人称代名詞(I)であり、三人称代名詞(he, she, they)の省略は稀です。これは、話し手と聞き手にとって、youとIの指示対象である話し手と聞き手は、会話の文脈から容易に推測できるため、省略による曖昧さが生じにくいからです。逆に、三人称代名詞は、文脈からの復元が困難なため、省略されにくいのです。また、機能語主語のit/thereや現在時制は、言語構造や文脈から復元しやすいという点で、省略されやすい傾向にあります。一方、現在形以外の時制は、時制情報そのものの重要性から省略されにくいとされています。このように、状況省略は、文脈と情報処理の効率性を考慮した上で発生する現象であると位置づけられます。

2. 主語省略と目的語消失の比較 主部と述部の非対称性

この小節では、主語の省略と目的語の消失を比較することで、状況省略における主部と述部の非対称性を明らかにします。文章では、主語代名詞は比較的広範囲に状況省略が可能である一方、述部内の代名詞は原則として状況省略が不可能であると説明されています。この非対称性の根拠として、英語の典型的な命題構造が挙げられています。通常、発話は主語を取り上げ、それについて何かを述べる構造を持つため、主語の指示対象に曖昧さがなければ省略しても問題ありません。しかし、述部は聞き手に情報を提供する部分であり、「互いに了解済み」とはみなせないため、省略は難しいのです。具体例として、他動詞の目的語省略について考察します。純粋に他者を必要とする他動詞では、目的語を省略すると意味が変わってしまいます。例えば、「You can’t open it.」から目的語を省略した「You can’t open.」は、文脈によっては「(足を)蹴るな」のような解釈になってしまい、元の文の意味とは大きく異なってしまいます。一方、「Can’t open it.」のように主語を省略した表現は、状況省略のルールに従い、主語をIまたはyouと解釈することが可能です。このように、主語と目的語の省略可能性には明確な違いがあり、英語の文構造における非対称性を反映していると言えるでしょう。認識動詞(know, see, understandなど)の目的語消失については、さらなる研究が必要だとされています。

III.状況省略と音調 談話文脈

状況省略は、英語の音調構造、特に文頭における強勢の位置と深く関わっている。文頭では機能語の弱化・省略が起こりやすいが、文中や文尾では、情報価値の違いから省略は少ない。また、談話文脈において、トピックとなる指示対象(特に三人称代名詞)は省略されやすい。例えば、会話における質問と応答の関係で、前後の文脈から容易に推測できる情報は省略される。

1. 英語の音調と状況省略の関係

この小節では、状況省略と英語の音調との関連性を考察します。英語の音調において、一つの強勢から次の強勢までがリズムの基本単位である「脚(foot)」を形成します。通常、強勢は内容語に置かれ、機能語は弱化されます。状況省略は、この強勢と弱化の関係に影響を受けており、特に文頭部、つまり強勢の置かれた「脚」の前頭部で起こりやすいと説明されています。この脚の前頭部は、音声的に非常に弱く、短く、低いピッチで発音されるため、省略されやすいのです。「Do you like her bag?」という例では、bagとlikeに強勢が置かれ、do youは弱化されているため、省略されやすいという説明がなされています。しかし、状況省略は、単に機能語が弱化されているという理由だけでなく、英語特有の音調構造と密接に関連した現象であると結論付けています。強勢と強勢の間の弱化部分は、リズムを構成する上で重要な役割を果たしており、音声的に弱くても省略されないという点も指摘されています。

2. 談話文脈と状況省略 トピックと省略の関係

この小節では、談話文脈における状況省略の発生について考察します。特に、三人称代名詞の省略に焦点を当て、談話におけるトピックとの関連性を指摘しています。三人称代名詞は、話し手と聞き手以外の指示対象を表しますが、談話におけるトピックになっている指示対象は、聞き手にとって最も特定しやすい状況にあります。そのため、三人称代名詞の省略が談話トピックにおいて起こりやすいのは自然な現象であると説明しています。具体例として、質問と応答の関係を挙げ、質問によって導入されたトピックが、応答文の主語として省略されているケースを示しています。例えば、Aの質問によって談話トピックがシルバーマン博士になった場合、Bの応答でシルバーマン博士を指す三人称単数代名詞が省略されるという例が挙げられています。このことから、状況省略は、単に文法的なルールだけでなく、談話全体の文脈や情報の流れにも大きく影響を受けていることがわかります。また、文中や文尾での代名詞は、たとえ文脈から明らかであっても、文頭と異なる情報価値を持つため、消失しない点が強調されています。極端な状況省略では、文脈の力により動詞的な意味が補われ、名詞だけでコミュニケーションが成立するケースもあると指摘されています。

IV.一人称主語省略と社会言語学的側面

一人称主語省略は、場面や関係性によって異なる機能を持つ。カジュアルな場面や親しい間柄では、心理的な距離を縮める効果がある。一方、特定の状況(例:警察官が仲間である印象を与える)において戦略的に用いられる場合もある。これは、単なる音声的な省略ではなく、社会言語学的側面も考慮すべき複雑な現象である。

V.状況省略と外国語教育への示唆

現代の外国語教育においては、英語話しことばの理解と運用能力が重視されている。そのため、従来の書かれた言語中心の文法教育の見直しが必要となる。状況省略のような話しことば特有の現象を正しく理解することは、効果的な英語教育において不可欠である。書かれた英語(WL)を基準に話し言葉(SL)を分析することで、話し言葉の欠落性が無秩序なものではないことを示す。

1. 話し言葉中心の英語教育と文法教育の必要性

この節では、現代の英語教育における変化と、状況省略研究の重要性を論じています。従来の英語教育は、主に書かれた英語(written language, WL)の読解能力に重点を置いていましたが、近年では、話し言葉(spoken language, SL)を用いたコミュニケーション能力の育成が重視されるようになっています。しかし、文法教育は外国語教育において不可欠であり、コミュニケーション重視の時代においても、その重要性は変わりません。そのため、教育目標の変化に合わせて、従来の文法教育内容の見直しが必要だと主張しています。特に、話し言葉中心の教育においては、書かれた言語を基準とした文法理解だけでは不十分であり、話し言葉特有の文法現象、例えば状況省略を正しく理解することが重要になります。 状況省略を理解せずに「コミュニケーション重視」という名目で文法教育を軽視することは、誤った理解に基づいていると指摘しています。これは、従来の英語教育で教えられてきた文法が、主に書かれた言語に基づいたものであり、話し言葉の文法とは異なる点を認識していないことによる誤解だと主張しています。

2. 状況省略研究の意義と今後の展望

この節では、書かれた言語を基準に話し言葉を分析することの重要性と、状況省略研究の今後の展望について述べられています。書かれた英語を基準にして話し言葉を検討すると、話し言葉は断片的で欠落しているように見えるかもしれません。しかし、本稿で分析したように、話し言葉の省略は、無秩序ではなく、一定の規則性に従って発生する現象です。特に、状況省略は、話し手と聞き手の情報共有、英語特有の音調、そしてリアルタイムの情報処理といった様々な要因が複雑に絡み合って生じる現象であることが示されています。この研究は、話し言葉のメカニズムを解明する上で重要な知見を提供するだけでなく、より効果的な英語教育のあり方を考える上でも大きな示唆を与えてくれます。話し言葉の文法を正しく理解することは、英語学習者にとって、より自然で流暢な英語を習得するために不可欠です。そのため、本稿で示された状況省略に関する知見は、今後の英語教育における文法指導の改善に役立つと期待されています。