HOKUGA: 債権法改正と契約締結過程における説明義務

債権法改正と説明義務:契約締結過程の課題

文書情報

著者

大滝哲祐

専攻 法学
文書タイプ 論説
言語 Japanese
フォーマット | PDF
サイズ 916.65 KB

概要

I.契約締結過程における情報提供義務 説明義務の法的性質と要件

本論文は、日本の民法における契約締結過程における情報提供義務(Informationspflicht)と説明義務(Aufklärungspflicht)の規定が債権法改正において明文化されなかった理由を検討し、今後の解釈論および立法論の展望を探ります。特に、信義則に基づくこれらの義務の要件、損害賠償の範囲(信頼利益履行利益を含む)、そして解除や取消といった法的効果について分析します。ドイツ民法との比較を通じて、情報格差の是正、自己決定権の保護といった観点から、これらの義務の法的性質(債務不履行、不法行為など)と適用範囲を検討します。関連判例や学説を踏まえ、契約の性質、当事者の地位、交渉過程における行動などが、情報提供義務・説明義務の有無を判断する上で重要な考慮要素であることを示します。

1. 情報提供義務と説明義務の定義と差異

本文書は、契約締結過程における情報提供義務(Informationspflicht)と説明義務(Aufklärungspflicht)の法的性質と要件を詳細に検討しています。狭義の情報提供と説明の差異について、情報提供は事実の伝達がないという不作為が問題となるのに対し、説明は事実の伝達がなされたか否かという作為が問題となる点を指摘しています。宮下修一『消費者保護と私法理論』(信山社、2006年)や内山敏和『情報格差と詐欺の実相(1)─ドイツにおける沈黙による詐欺の検討を通じて』(早稲田大学法研論集111号、2004年)などの文献を参照し、AuskunftspflichtとInformationspflichtの違い、そしてInformationの広い意味と狭い意味での解釈について論じています。特に、Informationspflichtは、説明、助言、警告などを含む広い意味で用いられる場合もある一方、通常はより狭い意味で使われる点が強調されています。

2. 債権法改正における明文化の経緯と課題

債権法改正において、契約締結過程における情報提供義務・説明義務の明文化が検討された経緯が説明されています。委員会試案【3.1.1.10】では、信義則に基づく情報提供・説明義務の存在が認められているものの、その要件を明確に定式化することの困難さが指摘されています。具体的な要件として、契約の性質、当事者の地位、交渉過程での行動、当事者間の合意内容などが考慮要素として挙げられていますが、これらを網羅的に規定することの難しさ、特に生命・身体・財産に関する危険防止のための説明義務の扱いの難しさが、明文化に至らなかった理由として示唆されています。法制審議会民法(債権関係)部会の会議議事録などを引用し、様々な意見や議論の過程が詳細に記述されています。

3. 情報提供義務 説明義務の発生要件に関する議論

情報提供義務・説明義務が発生する具体的な要件について、様々な観点からの議論が提示されています。相手方にとって重要性の認識、情報取得の困難性、契約の性質や相手方の資質といった要素が重要視され、これらの要件の立証責任についても検討されています。中間試案の補足説明では、契約締結の判断に必要な事項を対象とする説明義務と、それ以外の事項を対象とする説明義務を区別する必要性が示され、前者は契約自由の確保、後者は契約目的の達成を目的とするという差異が指摘されています。さらに、情報提供義務の範囲拡大への懸念、自己責任の強調への対応、専門的な事業者への特別な情報提供義務の必要性など、様々な課題とそれに対する対応策が検討されています。

4. 法的性質 効果 および損害賠償の範囲

情報提供義務・説明義務の法的性質については、債務不履行、不法行為、信義則違反など、複数の説が存在することが紹介されています。債権法改正の議論では、法的性質については今後の議論に委ねられたとされています。一方、効果については、契約の解除や取消、損害賠償などが考えられます。損害賠償の範囲は、信頼利益のみとする説と、履行利益まで含むとする説があり、原状回復的損害賠償や相当因果関係に基づく損害賠償についても言及されています。また、取消しと解除を同列に扱うことの困難さ、契約の効力を否定した場合の損害賠償範囲の重要性などが論じられています。ドイツ民法における信頼利益と履行利益の扱い、因果関係の立証の問題なども比較検討されています。

5. ドイツ民法との比較検討と今後の展望

ドイツ民法(特に311条2項、241条2項)における契約締結上の過失責任と、日本の状況との比較検討が行われています。ドイツ民法では、説明義務は契約締結上の過失の中核をなし、先行行為や情報格差の是正を正当化根拠としています。 履行の強制はないものの、原状回復義務に基づき損害賠償や契約の取消しが認められ、損害賠償の範囲は原則として信頼利益ですが、履行利益も認められるケースがあります。 連邦通常裁判所の判例に基づく因果関係の立証方法も紹介され、日本の状況と比較対照されています。 これらの検討に基づき、今後の日本の解釈論・立法論として、信義則を根拠とした債務不履行の付随義務としての情報提供義務の位置づけ、要件の精緻化、効果(取消、解除、損害賠償)の明確化、そして因果関係の立証責任の類型化の必要性が示唆されています。

II.意思表示からのアプローチと契約締結上の過失からのアプローチ

学説においては、情報提供義務違反へのアプローチとして、大きく分けて二つの流れがあります。一つは意思表示(詐欺・錯誤)からのアプローチで、合意の瑕疵を拡張解釈することで対応しようとするものです。もう一つは契約締結上の過失からのアプローチで、特に専門家と非専門家の情報格差を問題視し、不当な取引を救済するための附随義務違反として捉えます。後者では、当事者間の専門知識の差、一方のみが知っていた契約成立の障害となる事実、適切な説明があれば契約を締結しなかったであろうかという三つの要件を重視します。両アプローチとも、損害賠償や契約の解除取消といった法的効果を検討しますが、その範囲や要件に違いが見られます。

1. 意思表示からのアプローチ 詐欺 錯誤との関連性

このアプローチは、詐欺や錯誤といった意思表示の瑕疵の適用範囲を拡大するために、情報提供義務を用いる考え方です。フランス法の分析を参考に、日本の情報提供義務違反についても、沈黙による詐欺の拡張を検討すべきだと主張しています。具体的には、詐欺と錯誤の接近・統一的把握、詐欺の適用領域の拡張、表意者の相手方への行為態様への重視、錯誤者の相手方に対する損害賠償の肯定などが挙げられています。また、契約準備段階における信義則の捉え方についても論じており、契約の拘束力の否定という形での契約前の信義則の探究も示唆しています。フランス法では、事業者と消費者の情報格差是正、事業者の社会的責任の明確化といった観点から、情報提供義務の理論が発展していることを示し、日本においても同様の考慮が必要であると主張しています。さらに、情報提供義務違反と詐欺との関係を詳細に分析し、情報提供義務は詐欺の要件の一部を構成する概念として位置付けられるという見解を示しています。詐欺の二段の故意についても言及し、情報提供義務違反があった場合、故意の推定が認められる可能性を示唆しています。

2. 契約締結上の過失からのアプローチ 附随義務違反としての捉え方

このアプローチは、契約締結上の過失論に基づき、情報提供義務・説明義務を契約締結準備段階における附随義務(調査義務、説明義務、通知義務など)と捉えます。一方的に有利な取引上の地位や相手方の専門知識の不足を悪用した取引を、この附随義務違反によって救済しようとするものです。違反の効果として損害賠償と契約の解除が考えられますが、解除については付随義務に影響がある場合に限定され、その要件などは今後の課題として残されています。小粥太郎『説明義務違反による損害賠償に関する二、三の覚書』など、関連する文献も引用されながら、説明義務(情報提供義務)の根拠として、契約の対等性が成立しない場面(事業者・消費者間取引、専門家・非専門家間取引など)での情報格差是正と自己決定権の保護が強調されています。このアプローチでは、優位当事者は劣位当事者への自己決定基盤整備のため重要な情報を提供する義務を負うとされています。また、不意打ちによる販売や専門家による不十分な説明など、具体的な事例を挙げながら、契約の拘束力を否定すべきケースについても論じています。特に、当事者間の専門知識や情報量の差、一方のみが知っていた契約成立の障害となる事実、適切な説明があれば契約を締結しなかったであろうという三つの要件が重要視されています。

III.自己決定からのアプローチと情報提供義務違反の効果

自己決定からのアプローチは、自己決定支援のための情報格差是正義務という観点から情報提供義務を捉えます。このアプローチでは、優位当事者は劣位当事者の自己決定基盤の整備のために必要な情報を提供する義務を負うと主張します。情報提供義務違反の効果としては、損害賠償の範囲(信頼利益のみか、履行利益も含むか)、契約の効力の否定(解除取消)、そして因果関係の立証責任などが問題となります。特に、取消解除をどのように区別するか、そして損害賠償の範囲をどのように決定するかが重要な論点です。 フランス法やドイツ法の議論も参照しつつ、日本の民法における効果の検討が行われます。

1. 自己決定からのアプローチ 情報格差是正義務としての説明義務

このアプローチは、契約締結における自己決定権の保護という観点から、情報提供義務を捉えています。当事者間に情報格差が存在する場合、自己決定に必要な情報を収集することのリスクを相手方に負わせるのではなく、情報収集力に長けた優位当事者が劣位当事者に対して、自己決定の基盤となる重要な情報を提供すべきだと主張しています。この説明義務は、自己決定を支援するための情報格差是正義務と位置付けられます。つまり、契約を締結するかどうかを判断する際に、情報力において優位にある当事者が、劣位にある当事者に必要な情報を提供することで、実質的に対等な立場で意思決定が行えるよう支援する義務があると主張しているのです。このアプローチは、市場における取引の自由と自己責任を重視する一方で、情報格差によって生じる不公平を是正する必要性を強調しています。特に、事業者と消費者間の取引や、専門家と非専門家間の取引において、このアプローチの重要性が指摘されています。

2. 情報提供義務違反の効果 損害賠償 解除 取消

情報提供義務違反があった場合、どのような法的効果が生じるかについて、複数の見解が提示されています。まず、損害賠償の範囲については、信頼利益のみとする説と、履行利益まで認める説があります。また、契約の効力を否定する効果として、契約の解除や取消が考えられますが、解除は債務不履行の結果として認められる一方、取消は意思表示の瑕疵に基づいて認められるという違いがあります。学説によっては、不法行為としての責任を問うことで、原状回復的損害賠償による結果的な解除効果を認める考え方もあります。しかし、取消と解除を同列に扱うことの困難さや、契約の効力を否定した場合の損害賠償範囲の検討の重要性が指摘されています。因果関係の立証についても議論されており、適切な説明が損害をもたらさなかったことを立証する責任は、損害を被った者にあり、多くの場合、この立証が非常に困難である点が問題視されています。さらに、ドイツ民法における信頼利益と履行利益の扱い、そして因果関係の立証方法などが比較検討され、日本の民法における適切な対応策が検討課題として示されています。

IV.ドイツ民法との比較と今後の解釈 立法論

ドイツ民法(ドイツ民法311条241条など)における説明義務の規定、特に顧慮義務(付随義務・保護義務)との関係を分析し、日本の立法状況と比較します。ドイツでは、損害賠償の範囲に信頼利益が中心ですが、履行利益も認められます。 因果関係の立証についても、ドイツ連邦通常裁判所の判例などを参考に議論されます。 日本の今後の解釈論立法論としては、信義則を根拠に、債務不履行の付随義務として情報提供義務を位置づけ、要件の精緻化、効果(取消解除損害賠償)の明確化、そして因果関係の立証責任の類型化が必要だと結論づけます。 生命・身体・財産への危険に関する説明義務の未解決問題についても言及されます。

1. ドイツ民法における説明義務と日本の状況の比較

本文書では、ドイツ民法における説明義務の規定(特に311条2項、241条2項)と日本の民法における情報提供義務・説明義務の規定との比較検討が行われています。ドイツ民法では、説明義務は契約締結上の過失の中核をなし、先行行為や情報格差の是正を正当化根拠としています。日本の場合、債権法改正の過程で明文化が検討されましたが、要件の具体化の困難さや、生命・身体・財産に関する危険防止のための説明義務の扱いの未解決といった問題から、最終的に明文化に至りませんでした。ドイツ民法では、説明義務に履行の強制はないものの、原状回復義務に基づき損害賠償や契約の取消しが認められており、損害賠償の範囲は原則として信頼利益ですが、履行利益も認められる可能性があります。この点、日本の現状との違い、そして今後の立法・解釈の方向性を探る上で重要な比較対象となっています。特に、ドイツ連邦通常裁判所の判例における因果関係の立証方法や、信頼利益と履行利益のバランスの取り方などが、日本の今後の議論にとって参考となる重要な知見として提示されています。

2. ドイツ民法の顧慮義務 付随義務 保護義務 の考察

ドイツ民法における顧慮義務(付随義務・保護義務)の概念が、日本の情報提供義務・説明義務の法的性質を検討する上で重要な手がかりとして提示されています。ドイツ民法では、説明義務は履行に関連する付随義務、および契約の完全性に関連する保護義務として捉えられています。 この顧慮義務の概念は、説明義務だけでなく、契約交渉の打ち切りや第三者の行為による交渉当事者の責任なども包含する包括的な概念であり、ドイツ債務法現代化法(2002年施行)においても考慮されています。 日本の債権法改正においても付随義務・保護義務の明文化が検討されましたが、内容の不明確さや裁判規範としての機能性への懸念から見送られた経緯が述べられています。 しかし、ドイツ民法における顧慮義務の条文構成は、説明義務のみならず、その他の契約締結上の過失類型も包含できる点で、日本の立法論・解釈論の双方にとって参考となる可能性が示唆されています。特に、信義則の具体化という観点からも、ドイツ民法の条文構成はメリットを持つとされています。

3. 日本の今後の解釈論 立法論の展望

明文化が見送られた後の日本の情報提供義務・説明義務の解釈論と立法論の展望について、ドイツ民法からの示唆を踏まえて検討が行われています。説明義務の正当化根拠は従来通り信義則であり、法的性質としては債務不履行の付随義務と捉えるべきであると提案されています。その上で、説明義務の要件をより明確化し、特に特別な信頼形成や契約締結に密接に関わる状況を精緻化していく必要性が強調されています。効果としては、債権者(取消権者)に意思表示による取消しおよび損害賠償と、債務不履行の付随義務違反として解除および損害賠償を選択する権利を認めるべきであるという考え方が示されています。さらに、因果関係の立証の問題についても類型化が必要だとされています。 そして、生命・身体・財産に対する危険に関する説明義務の未解決問題については、自己決定に関する説明を不法行為として、契約締結および完全性利益の保護に関する説明を債務不履行として類型化することで解決できる可能性が示唆されています。