内外金融システムの変化と対外不均衡

円高と日本経済:金融自由化の光と影

文書情報

学校

滋賀大学経済学部

専攻 経済学
出版年 昭和62年
場所 彦根
文書タイプ 研究叢書
言語 Japanese
フォーマット | PDF
サイズ 6.05 MB

概要

I.日本の金融自由化と郵便貯金 官業と民業の狭間で

昭和50年代初頭の日本の金融自由化(金融制度改革)は、企業と銀行の国際化、国債の大量発行を背景に進展しました。特にNCDS(譲渡可能定期預金証書)の導入は、実質的な前進をもたらしました。一方、郵便貯金の急増は、官業の資金集中、金利政策の一元化といった問題を浮き彫りにし、官業(郵便貯金)と民業(民間金融機関)のあり方に関する激しい論争を引き起こしました。郵便貯金の将来、金利自由化利子非課税制度、そして民間金融機関との競争が主要な論点となり、**郵貯懇(金融懇)**と呼ばれる議論が活発に行われました。**臨調最終答申(69)行革審推進小委員会報告(162)**も、官業の役割や民営化(分割・民営化)について様々な主張を展開しました。最終的に、利子非課税制度の見直しやマル優制度の改革などが検討されましたが、その是非をめぐる議論は、日本の貯蓄率と経済成長という観点から今も続いています。

1. 昭和50年代初頭の金融自由化とNCDSの導入

昭和50年代初頭から始まった日本の金融自由化は、企業や銀行の国際化、国債の大量発行といった背景と深く関わっています。特に、現先取引の活況への対応策として昭和54年5月に導入されたNCDS(Negotiable Certificates of Deposits、譲渡可能定期預金証書)は、金利の自由決定を可能にし、金融自由化を大きく前進させる転換点となりました。この金融制度改革は、金融市場の実勢を反映した発行金融機関と投資家間の交渉によって実現し、それまでの制度的制約を大きく変革しました。 具体的には、新規国債窓口販売や既発債ディーリング開始、証券会社の国債担保貸出やNCDS流通取扱いといった業態間の垣根の低下、長短金融分離主義や専門銀行主義の不明確化、金融機関の情報化と技術革新の進展、邦銀の海外進出と外銀の対日進出による相互交流の増大、円の国際的役割拡大に伴う内外での資金調達拡大などが挙げられます。これらの要因は、日本の金融自由化を促進する上で無視できない重要な要素でした。

2. 郵便貯金の急増と官業 民業論争の勃発

郵便貯金の急増は、昭和50年代から顕著となり、官業への資金集中、金利政策の一元化といった問題、そして自由主義経済体制下における官業のあり方に関する議論を巻き起こしました。昭和54年度には郵便貯金の増加額が前年実績を下回るなど、その伸び悩み傾向も確認されました。この状況を背景に、昭和56年1月には「金融の分野における官業の在り方に関する懇談会」(有沢広巳会長)が設置され、郵政省、大蔵省、日本銀行、経済企画庁、民間金融機関、経団連などから委員が参加して7ヶ月間にわたる活発な議論が展開されました。 この懇談会では、民間金融機関は官業たる郵便貯金が民業の「補完的役割」に留まるべきだと強く主張しました。一方、郵政省は郵便貯金の全国ネットワークを活かした効率的な経営、山間僻地へのサービス提供などを強調し、コスト面の問題は少ないと反論しました。 臨調最終答申(69)や行政改革(120、162)なども、官業の非効率性や民業圧迫を指摘し、分割・民営化や規模抑制を提言するなど、官業と民業のあり方をめぐる論争は激しさを増しました。

3. 郵便貯金問題の主要論点 金利自由化 利子非課税 将来展望

郵便貯金をめぐる論争の中心には、小口預金金利自由化、利子非課税制度(マル優制度を含む)、そして郵便貯金の将来展望がありました。利子非課税制度に関しては、公平性、簡素化、国際的な視点からの見直しを求める声が高まりました。政府税制調査会ではグリーンカード制度の廃止が決定されましたが、利子非課税制度の廃止論に対しては、郵政省と民間金融機関双方から強い反論がありました。 反論の根拠としては、民間部門の貯蓄と経常収支の関係についての誤解、家計貯蓄率と経常収支の関連性の低さ、日本の貯蓄率の低下傾向、高齢化社会における貯蓄の重要性などが挙げられました。 一律分離課税方式、確定申告不要制度、低率分離課税方式といった課税方法についても議論が行われ、それぞれの方式の長所と短所が検討されました。 これらの議論は、日本の経済成長と貯蓄のあり方、そして郵便貯金の将来像をどのように捉えるべきかという根本的な問題と深く関わっています。

II.円の国際化と東京オフショア市場構想

日本の金融の国際化(円の国際化)と東京オフショア市場の構想は、邦銀の対外貸付け増加、円滑な外貨資金調達の必要性から強く求められました。東京オフショア市場は、ロンドンなどのユーロ市場における資金調達を円滑化することを目的としていました。細見卓氏率いる調査団の提言や、日米間の金融摩擦を背景に、政府は市場創設を推進しました。しかし、国内金融秩序への懸念、利害関係の錯綜、そしてメキシコ債務危機などの影響を受け、実現には時間を要しました。**IBF(国際金融勘定)**のモデルを参考に、昭和61年12月、東京オフショア市場は正式に発足しました。しかし、円建BA市場の不振など課題も残されました。

1. 東京オフショア市場構想の背景 邦銀の国際化と資金調達

昭和56~57年にかけて注目を集めた東京オフショア市場構想は、日本の金融機関、特に邦銀の国際化の進展と深く関連しています。邦銀の対外貸出や外貨業務は急増していましたが、国内での外貨資金調達が困難な状況が続いており、ロンドンなどのユーロ市場への依存度が高まっていました。 そのため、国際化が進む邦銀は、東京にオフショア市場を創設することで円滑な外貨資金調達を実現しようと強く希望しました。特に昭和55年12月に行われた為替管理の大幅な自由化は、この主張を後押しする大きな要因となりました。 邦銀の国際的なプレゼンスもこの構想を支える要素でした。昭和57年には、邦銀が外貨建てコミットした中長期ローンが約180億ドルに達し、世界の全金融機関に占めるシェアは20%を超えていました。東京は、人的インフラ、金融機関間のコミュニケーション、政治的安定性といった点において、オフショア市場の設立に適した環境を既に備えていたと言えるでしょう。

2. 東京オフショア市場構想の推進と課題 利害調整の難しさ

東京オフショア市場構想の推進にあたっては、様々な利害関係者の調整が大きな課題となりました。特に、円をオフショア市場の取引通貨とするか否かについては、金融機関間で意見が対立しました。東京オフショア市場が開設されれば、円の対外貸出が自由化され、CD金利を基準とする変動金利での貸出が可能となるため、利害関係が複雑に絡み合っていました。 この利害調整の難しさから、市場の早期実現は困難を極めました。元大蔵省財務官の細見卓氏は、「東京オフショア市場の早急な実現には『外圧』以外に道がない」とまで述べていることから、その困難さが伺えます。日本銀行は国内金融秩序への影響を懸念し慎重な姿勢を示し、大蔵省も「当面の課題はコンセンサス作り」と、積極的なイニシアチブを取らない状況でした。円の国際化という大きな流れの中で、利害関係者の調整、ユーロ円の拡大、そして国内金融市場への影響を最小限に抑えることが、東京オフショア市場創設の成功に不可欠でした。

3. 東京オフショア市場の設立と今後の展望 円建BA市場の教訓

東京オフショア市場創設案は、昭和60年3月の外国為替等審議会の答申、同年4月の専門部会の審議を経て、同年9月に報告書がとりまとめられ、大蔵省国際金融局・主税局の合意を得て実現しました。 外為法および租税特別措置法の改正を経て、昭和61年12月1日、東京オフショア市場は正式に発足しました。 しかし、円建BA市場の失敗から得られた教訓を生かしていない点や、地方税の減免がないことなどから、東京での取引に経済的な合理性に欠ける面もあり、国際的なシンジケートローンが東京で調印されることは稀だと指摘されています。 市場発足後1ヶ月で約700億ドル規模に達したものの、金融政策や有担原則への影響などを懸念する声もあり、円建BA市場のような不振に陥る可能性も指摘されています。 今後の東京オフショア市場の発展のためには、政策当局の積極的な対応、そして内外分離型から内外一体型への発展が求められると結論づけられています。

III.円建BA市場の創設と課題

円建BA市場(銀行引受手形市場)の創設は、日本の貿易金融の円建て化を促進する目的で進められました。貿易金融為替問題研究会の報告書や、日米間の合意を経て、市場は創設されました。しかし、ドルの国際的な利用状況や為替変動リスクなどの問題から、当初期待された輸入円建て化促進効果は限定的でした。さらに、銀行の利鞘(スプレッド)や印紙税の問題、輸出金融との金利比較、直ハネ手形の低調などにより、市場は不振に陥り、創設から1年半で残高が大幅に減少しました。これは、政策当局、金融機関間の利害調整の難しさ、そして国際的な金融情勢の変動が要因として挙げられます。

1. 円建BA市場創設の経緯 貿易金融円建て化への期待

円建BA(銀行引受手形)市場の創設は、日本の貿易金融の円建て化を促進することを目的としていました。そのきっかけとなったのは、昭和53年7月に通産省貿易局長の私的諮問機関である「貿易金融為替問題研究会」が発表した報告書です。この報告書は、円建貿易金融整備のためのBA市場創設を提言しており、その後、昭和53年10月の政府の総合経済対策、同年11月のレーガン大統領来日に伴う日米蔵相共同声明などに盛り込まれ、本格的な検討が始まりました。 昭和54年5月には日米円・ドル委員会作業部会報告書、同年5月の大蔵省発表「金融の自由化および円の国際化についての現状と展望」、同年6月の金融制度調査会の第2次中間報告などが相次いで発表され、円建BA市場の基本的枠組みが示されました。そして、昭和54年12月、大蔵省は最終案をまとめ、金融制度調査会に諮問し、昭和55年4月1日付けで円建銀行引受手形の取扱いに係る大蔵省銀行局長通達(蔵銀667号)が発出され、同年6月1日に市場が創設されました。 しかし、国際市況商品取引におけるドルの慣習的な利用や、為替変動リスクの輸出業者への転嫁の困難さなどから、円建BA市場の創設が直ちに輸入の円建て化促進効果をもたらすとは限らないとされました。

2. 円建BA市場の不振 金利水準 印紙税 直ハネ手形の低調

円建BA市場は、当初期待されたほどの成功を収めることができませんでした。その原因としては、いくつかの要因が挙げられます。まず、輸出金融の場合、従来の短期プライムレート水準(公定歩合+r)よりも高い金利水準になるため、円建BAの利用が少なかった点が挙げられます。BAレート自体は割引率であるため源泉徴収税は課されず、他の短期金融市場商品よりも低利ではありますが、銀行マージン(0.5%以上)や印紙税により、結果的に金利水準が上昇してしまうためです。 また、銀行と企業の間で利鞘(スプレッド)と印紙税負担の問題で合意に至らなかったため、売却が期待されていた直ハネ手形(輸入決済関係手形)が市場に持ち込まれず、市場残高は減少を続けました。昭和55年6月末の残高は572億円と、6月1日比で16億円減となり、その後も減少傾向は続き、創設から1年半で残高が4分の1にまで縮小しました。 これらに加えて、輸出金融に比べ円建比率が高い輸出手形が市場の流通主体となり、輸出促進効果が貿易収支黒字縮小と逆方向に作用する可能性も指摘されています。

3. 円建BA市場の課題と今後の展望 円の国際化への貢献

円建BA市場の不振は、政策当局や金融機関間の利害調整の難しさ、そして国際的な金融情勢の変動という課題を示しました。ニューヨークやロンドンが国際金融市場として発展し、ドルやポンドが国際通貨として利用されてきた背景には、BA市場の発達が大きく貢献していました。日本においても、円の国際化と国際金融市場での役割を果たすためには、円建BA市場の健全な発展が不可欠でした。 メキシコ債務危機(昭和57年8月)のような国際的な金融情勢の不安定さも、東京オフショア市場構想の一時的な棚上げを招くなど、円建BA市場にも影響を与えました。 しかし、日米円・ドル委員会の開催、ユーロ円市場の拡大など、日本の金融自由化・円の国際化の推進により、ユーロ円CD、ローン、ボンドなどが公認・実施されたことから、東京オフショア市場創設の議論は再燃し、最終的には昭和61年12月1日に正式に発足することとなりました。しかし、その発展には依然として課題が残されています。

IV.アメリカの貯蓄金融機関と金融イノベーション

アメリカの金利自由化に伴う金融イノベーションは、中小規模の金融機関、特に貯蓄貸付組合(S&L)の経営リスクを増大させました。オハイオ州やメリーランド州での取り付け騒ぎは、そのリスクの顕在化を示しました。政府は、民間企業による住宅供給を基本とし、信用補完制度や二次市場制度の整備によって民間住宅金融の円滑化を図っています。MMMF(マネーマーケットファンド)に対抗する金融商品として、MMDA(短期金融市場預金勘定)やスーパ-NOW勘定などが登場しました。 これらの出来事は、金融自由化下における金融機関の経営安定化の重要性を示しています。

1. アメリカの金利自由化と貯蓄金融機関の経営リスク

アメリカの金利自由化とそれに伴う金融イノベーションは、中小規模の金融機関、特に貯蓄金融機関の経営リスクを顕著に増大させました。 その象徴的な出来事として、1985年3月にオハイオ州で発生した貯蓄貸付組合(Savings and Loan Associations、S&L)の取り付け騒ぎが挙げられます。 この騒ぎでは、約70のS&Lが約1週間営業停止に追い込まれました。 さらに同年5月にはメリーランド州でも同様の取り付け騒ぎが発生し、連邦貯蓄貸付保険に未加入のS&Lが大きな打撃を受けました。S&Lは小口預金をもとに住宅金融を主な業務とする中小規模の金融機関であるため、金利自由化による金融市場の変動に脆弱であったことが、これらの取り付け騒ぎの背景にあります。これらの事態は、一地方だけの問題ではなく、放置すれば他州にも波及し、大規模な金融混乱を引き起こす可能性があると懸念されました。

2. アメリカの住宅金融政策 政府の役割と民間主導の促進

アメリカ政府の住宅政策においては、民間企業による住宅供給を基本とし、公共住宅建設はきわめて限定的に行われています。政府の役割は、民間主導の住宅建設を適切に誘導することにあり、信用補完制度と第二次市場(流通市場、リファイナンス市場)制度の整備という二つの基本施策を通じて、民間住宅金融の円滑化を図っています。住宅金融をコントロールする施策や税制優遇措置が政府の住宅政策の中心であり、公共住宅供給や家賃補助といった直接補助は、限定された中低所得者層にのみ行われています。この政策は、政府による直接的な住宅供給よりも、市場メカニズムを重視した民間主導の住宅建設を促進する方向性を示しています。 このアプローチは、市場の効率性を高め、住宅供給の柔軟性を確保することを目的としています。

3. 金融イノベーションと新たな金融商品 MMMFへの対抗策

貯蓄金融機関からの資金流出を防ぐため、MMMF(マネーマーケットファンド)に対抗できる新たな金融商品が開発・導入されました。その代表的なものがMMDA(短期金融市場預金勘定)です。 MMDAは、連邦預金保険加盟の商業銀行、貯蓄貸付組合、(相互)貯蓄銀行に認められ、金利、期間、預金者資格に制限がなく、月3回までの第三者宛資金振替えと小切手振出しが可能でした。個人所有分には法定準備率が課せられない一方、預金保険の対象となるというメリットがありました。 さらに、1983年1月には、金利上限規制のないスーパ-NOW勘定が、商業銀行、貯蓄貸付組合、(相互)貯蓄銀行に認められました。これらの新しい金融商品は、金利自由化下における金融機関の競争激化に対応し、預金者の多様なニーズに応えるために開発されたものです。これらの金融商品が、貯蓄金融機関の経営安定化にどの程度貢献したのかは、更なる分析が必要となります。