
現代日本の中央銀行:日銀と金融政策
文書情報
著者 | 小栗誠治 |
学校 | 滋賀大学経済学部 |
専攻 | 経済学 |
文書タイプ | 研究叢書 |
言語 | Japanese |
フォーマット | |
サイズ | 6.71 MB |
概要
I.日本銀行の目的と金融政策運営
本書は、現代日本の中央銀行である日本銀行の金融政策を包括的に解説する。日本銀行の第一の目標は物価安定の達成であり、そのために様々な金融調節手段を用いる。金融政策の効果は、金利を通じて企業や家計の経済活動に波及するトランジション・メカニズムを通して発揮される。具体的には、短期市場金利の変更がイールドカーブに影響を与え、設備投資や消費に影響を与える。近年は、インフレーション・ターゲティングの導入も議論されており、マネーサプライの管理手法との違いについても解説されている。
1. 日本銀行の役割と金融政策の定義
このセクションでは、日本銀行の中央銀行としての役割と、金融政策の定義について解説している。中央銀行の活動は「政策」と「業務」の両面から成り立ち、市場における貸出や有価証券売買を通して政策効果を発揮する点が、行政的手法で目的達成を目指す政府との決定的な違いとして強調されている。日本銀行は、円滑な決済システムの維持にも重要な役割を果たしており、金融機関の資金繰り支援や民間システム運営者との連携を通して、決済システム全体のモニタリングとリスク管理を行っている。この決済システムの円滑な運営は、経済活動の円滑な進行に不可欠であり、日本銀行の重要な業務の一つとして位置づけられている。 物価の安定が経済活動全体に大きな影響を与えることも指摘され、物価の急激な上昇(インフレ)や下落(デフレ)が経済に悪影響を与えるメカニズムが具体的に説明されている。例えば、インフレ下では、価格メカニズムが歪み、企業や家計の意思決定が困難になり、投資や生産活動が抑制されるという問題点も指摘されている。 このように、日本銀行の金融政策は、物価安定を最優先課題とし、決済システムの安定維持という重要な役割を担うことで、国民経済の健全な発展に貢献することを目的としている。
2. 物価安定と金融政策の目標
この部分では、金融政策における物価安定の定義と重要性、そしてその達成のための様々なアプローチについて議論している。物価安定は、経済主体が将来の物価水準変動を考慮する必要がない状態として定義されており、インフレ抑制が金融政策の第一義的な目標であることが明確に示されている。しかし、インフレ抑制のみを目標とするのではなく、インフレーション・ターゲティングを採用している中央銀行では、産出量や為替レートといった短期的な経済指標の安定化も考慮している点が説明されている。インフレ目標値の設定にあたっては、供給ショックの影響を除去したり、食料・エネルギー価格などの変動を考慮した上で、目標値をレンジで示すことで、金融政策に柔軟性を持たせることが重要だとされている。 消費者物価指数などの統計データの限界についても言及しており、技術革新による製品の質の向上や、統計データへの上方バイアスの存在などが、物価動向の正確な把握を困難にする要因として挙げられている。特に、インフレ率が低い日本においては、これらのバイアスがデフレ政策との誤解を招くリスクも存在するため、正確な物価統計の作成と分析が中央銀行にとって非常に重要であるとされている。
3. 金融政策の波及経路とインフレーション ターゲティング
日本銀行の金融政策の効果が経済全体に波及するメカニズム、つまりトランジション・メカニズムについて解説されている。金融緩和の場合、資金調達コストの低下による設備投資や住宅投資への直接的な需要喚起、金利支払コストの軽減による企業収益の改善と雇用創出、といった3つの波及経路が主要なものとして挙げられている。 また、このセクションでは、近年注目を集めているインフレーション・ターゲティングについても触れられている。これは、従来の中間目標であるマネーサプライの代わりに、物価水準を直接ターゲットとする政策手法であり、インフレ期待の安定化や中央銀行への信頼回復に繋がるとして、ニュージーランド、カナダ、イギリスなど多くの先進国で採用されていると説明されている。 さらに、インフレーション・ターゲティングとマネーサプライ・ターゲティングを比較検討し、日本銀行の金融政策運営におけるマネーサプライの位置づけについて解説されている。そして最後に、日本銀行の金融政策運営のスタイルとして、厳格なターゲティング手法ではなく、経済情勢の総合判断を重視している点を強調している。
4. 経済情勢の総合判断と物価安定の定義
日本銀行の金融政策運営において、経済情勢の総合判断が重視されている点が強調されている。日本銀行は、企業情報、統計データ、金融市場の情報、金融機関のモニタリングなど、多様な情報源から得られる情報を総合的に分析し、的確な政策判断を行うよう努めている。経済状況の変化が激しい現代においては、柔軟な対応が求められており、日本銀行はこの総合的な判断に基づいて、金融政策を運営している。 物価安定の定義についても言及されており、中央銀行の観点からは、将来の物価水準変動を考慮する必要がない状態が理想的な物価安定だとされている。この定義に基づいて、許容ターゲット・ゾーン重視、物価安定下の持続的経済成長重視、予測形成重視といった様々な物価安定の定義方法が説明され、それぞれの例として、インフレーション・ターゲティング、三重野元日銀総裁の考え方、グリーンスパンFRB議長(当時)の考え方が紹介されている。
II.中央銀行の独立性
中央銀行の独立性は、物価安定の達成に不可欠である。高い独立性を持つ中央銀行は、インフレ率の抑制に成功している傾向がある。ドイツのブンデスバンクは高い独立性を持つ中央銀行の好例として挙げられる。しかし、独立性とインフレ率の因果関係については、更なる検証が必要である。日本銀行の設立は、明治15年(1882年)であり、当初から政府からの独立性が重視されてきた。ただし、日本銀行の独立性はあくまで金融政策関連に限られるという見解もある。
1. 中央銀行の独立性と物価安定
このセクションは、中央銀行の独立性と物価安定との関係について論じています。多くの研究において、中央銀行の独立性が高い国ほど、インフレ率が低い傾向にあることが示唆されています。ドイツのブンデスバンクは、その高い独立性と優れた物価安定実績を例として挙げられています。 しかしながら、この関係は必ずしも因果関係を示しているとは限らず、独立性の高さが物価安定をもたらすという解釈には限界があることも指摘されています。研究結果のロバスト性や因果関係の解釈に課題が残る点も踏まえつつ、中央銀行の独立性と物価安定の関係性を慎重に検討する必要があると結論づけられています。 また、中央銀行の中立性や独立性が重視される理由として、金融政策の専門性、技術性、そして政策の連続性による信頼の確立が不可欠であることが説明されています。短期的な視点や感覚的な判断による混乱を避けるため、中央銀行は政府の短期的な利害から距離を置いた独立した存在であるべきであるという考え方が示されています。
2. 中央銀行の独立性の種類と日本銀行の例
中央銀行の独立性には、組織上の独立性、人的独立性、政策手段の独立性など様々な側面があることが説明されています。 具体例として、アメリカのFRB(連邦準備制度)の組織構造や、ブンデスバンクの理事の長期任期による人的独立性、そして政府信用禁止や政策手段決定の自由といった政策手段の独立性が挙げられています。しかし、ブンデスバンク法においても、その独立性は金融政策関連に限られる「機能としての独立性」と解釈されている点が指摘されており、財務代理人としての役割や銀行監督といった業務は政府の指示を受ける範囲にあると説明されています。 日本銀行の設立経緯についても触れられており、明治15年の設立は、政府から独立した機関に紙幣発行権を一元化することで通貨価値の安定を図るためであるとされています。しかし、当時、不換紙幣と正貨との間に大きな隔たりがあったため、日本銀行は開業当初から不換銀行券の発行には至らず、明治18年になって初めて不換銀行券の発行を開始した経緯も説明されています。
III.準備預金制度
準備預金制度は、金融システムの安定性を維持する上で重要な役割を果たす。準備預金の対象範囲の拡大や準備率の引き下げといった制度改革が、金融の自由化・国際化の進展に伴って議論されている。準備預金は、銀行の現金支払能力を確保し、決済システムの円滑な運営を支える。日本銀行は、準備預金の運用を通じて短期市場金利を調整し、マネーサプライをコントロールする。準備預金制度の設計においては、マネーマーケット金利やマネーサプライの安定性、コントローラビリティを高めることが重要となる。所要準備計算方式の改善も課題となっている。
1. 準備預金制度の役割と機能
このセクションでは、準備預金制度の金融システムにおける役割と機能について説明しています。準備預金制度は、当初、預金の現金化請求に対する支払準備、つまり預金と法貨の交換を保証する目的で導入されました。現在でもその機能は失われておらず、金融システム全体の不確実性に対する備えとして、支払・決済システムの円滑な機能維持、信用秩序の維持、そして通貨制度に対する社会的信認の確保に貢献しています。 準備預金制度は、中央銀行が金融政策をコントロールする上で重要な役割を果たしています。銀行の準備預金比率(R/D)と公衆の現金預金比率(C/D)は貨幣乗数の構成要素であり、これらの比率の安定性が、マネタリー・コントロールのコントローラビリティを左右します。しかし、日本の現状では貨幣乗数が安定しておらず、現金需要の変動がその一因として指摘されています。準備預金制度は、金融システム全体の安定性を支える基盤として、今後も重要な役割を担い続けるでしょう。
2. 準備預金制度の現状と課題
近年、金融の自由化・国際化の進展に伴い、準備預金制度の見直しが行われています。金融機関間の競争激化を受け、準備預金負担の軽減が求められており、準備率の引き下げや制度の簡素化が各国で進められています。 準備預金制度の対象範囲についても議論されており、伝統的には銀行だけが乗数的な信用創造を行うと考えられてきましたが、近年では他の金融機関も資金のアベイラビリティに影響を与えるという認識が高まっています。そのため、準備対象範囲を銀行以外の金融機関にも拡大すべきという意見も出ています。 また、準備預金制度における所要準備計算方式についても課題が指摘されています。「所要準備額計算期間」と「積み期間」のずれが、金利やマネーサプライの安定性、コントロールに影響を与える可能性があり、その影響を精査する必要があるとされています。さらに、操作目標(短期金利、オペ資金供給量、ハイパワードマネーなど)の設定や、所要準備計算方式の選択が、マネーサプライの目標値からの乖離や金利の乱高下を最小限に抑える上で重要であると論じられています。
3. 準備率操作と準備預金制度の法的側面
準備預金制度における準備率の操作は、以前は金融政策の重要な手段でしたが、近年では金融引締め・緩和の手段としてほとんど用いられていません。これは、金融機関にコスト負担を強いるため、ノンバンクとの競争が激しい現状では、過度のコスト負担を求めることに慎重にならざるを得ないからです。 しかし、準備預金制度そのものが不要というわけではなく、準備率の適用がなければ、各金融機関の日本銀行当座預金がゼロに近づき、短期市場金利の過度な変動が生じる可能性があるため、現行の水準は短期市場金利の安定化を考慮して設定されていると説明されています。 準備率の設定・変更・廃止は、現行の日本銀行法においては主務大臣の認可を必要としています。この点については、準備率の変更が民間金融機関に一方的に義務を課す行政行為であるため、主務大臣の認可が必要であるとする意見があったものの、憲法上の問題を考慮し、日本銀行が自主的に発動できるよう改めることが適当と判断された経緯が説明されています。
IV.金融調節手段
日本銀行は、金融政策目標の達成のため、様々な金融調節手段を用いる。公開市場操作(債券・手形オペレーション、レポ・オペなど)は、短期市場金利やマネーサプライを調整する主要な手段である。日本銀行貸出は、金融機関の資金繰り支援を行うが、近年は、市場金利の急変等例外的なケースを除き、原則として使用されない。成長通貨の供給は、債券買切りオペによって行われる。ハウスキーピング・オペレーションは、日々の資金需給の変動に対応するもので、政策的な意図は含まない。
1. 公開市場操作
日本銀行の金融調節手段として、公開市場操作が重要な役割を果たしています。これは、債券や手形などの有価証券を市場で売買することで、市中金融機関の現金支払準備を増減させ、間接的に市場金利にも影響を与える方法です。例えば、日本銀行が有価証券を売却する「売りオペレーション」を行うと、市場から資金が吸い上げられ、準備預金の需給が逼迫し、市場金利が上昇します。逆に、有価証券の買入れを行う「買いオペレーション」では、市場に資金が供給され、金利が低下します。 公開市場操作は、市場メカニズムを通じて行われるため、強制力を持たず、売買量を弾力的に調節できるというメリットがあります。また、機動的な発動も可能です。 しかし、国債現先オペについては、有価証券取引税の発生や簿価変動といった制約要因があり、必ずしも十分に機能しているとは言えない状況にあると指摘されています。 長期国債を対象としたレポ市場を使った金融調節(レポ・オペ)も重要な手段として挙げられており、平成9年11月に導入され、平成10年9月末には5兆円の資金供給残高に達したと説明されています。
2. 日本銀行貸出と政策金利
日本銀行貸出は、金融機関の資金繰り支援を行うための手段ですが、平成8年1月以降は、市場金利の急変時や準備預金の積み最終日の微調整といった例外的なケースを除き、原則として金融調節手段としては使われていません。これは、金融機関へのコスト負担を考慮し、ノンバンクとの競争激化も踏まえて、慎重な姿勢をとっているためです。 しかし、準備預金制度がなくても良いという意味ではなく、もし準備率の適用がなく、各金融機関の日本銀行当座預金がゼロに近づけば、銀行券や財政などの資金需給のわずかな変動で短期市場金利が大きく変動するリスクがあるため、現行の水準は短期市場金利の過度な変動を防ぐために設定されていると説明されています。 また、手形貸付については、頻繁な貸付における担保徴求の煩雑さを避けるため、「据置担保」方式が用いられており、これは事前に一定額の担保を日本銀行に差し入れる方式です。この方式は機動的、弾力的に実施できるメリットがあるものの、近年では例外的なケースを除いて、金融調節手段としては使われなくなっています。
3. その他の金融調節手段と資金需給の調整
債券買切りオペは、昭和37年11月に導入されたもので、長期国債を金融機関から買入れることで、経済成長に伴う銀行券発行ベースの増大に見合った資金を安定的に供給することを目的としています。このオペは、他のオペ手段による資金供給の必要量を圧縮する効果も期待されています。 日々の資金需給の調整には、当日決済可能な資金供給手段と、事前に資金供給を行う先日付オペが用いられています。当日決済可能な手段には限界があり、大きな資金不足日には対応できないため、事前に先日付オペを行うことで資金需給のバランスを取っています。この先日付オペは、「ハウスキーピング・オペレーション」と呼ばれ、政策的な意図を持たない資金需給調整のためのオペレーションです。 日本銀行は、政策意図を市場に明確に示すシグナリング・オペレーションと、ハウスキーピング・オペレーションの2つを使い分けていると説明されています。 公定歩合やオペレーションの態度、供給ルート、条件などを変えることで、日銀信用のアベイラビリティを調整し、金融市場に影響を与えていることも説明されています。
V.金融機関の監督
日本銀行は、金融機関に対する考査を通じて、金融システム全体の安定性を維持する役割を担う。経営リスク、信用リスク、マーケットリスクなどのリスク管理状況のチェックが実施される。特に、中下位金融機関に対しては、**ALM(Asset Liability Management)**の適切な実行が促されている。アクセス型の金融商品や電子マネーの普及への対応も進められている。
1. 日本銀行の金融機関監督の目的と範囲
このセクションでは、日本銀行が金融機関に対して行う監督の目的と範囲について述べられています。日本銀行は、金融システム全体の安定性を維持するために、金融機関の監督を行っています。監督の目的は、金融システム全体の安定性を確保し、国民経済の健全な発展に貢献することです。 監督の対象は幅広く、金融機関の経営状況、リスク管理、内部管理体制などが含まれます。具体的には、経営リスク(信用供与先の業況悪化など)、信用リスク(金利・為替変動による資産価値変動など)、マーケットリスクなどがチェック項目として挙げられています。 監督手法は、経営幹部との面談、経営計画・組織の合理性評価、内部検査の実効性評価、融資状況の調査、リスク量の把握、帳簿・書類の閲覧など多岐に渡ります。これらの監督活動を通じて、金融機関の健全な経営とリスク管理の徹底を促し、金融システム全体の安定性維持に貢献することを目指しています。 特に、近年は金融の自由化・国際化の進展に伴い、金融機関間の競争が激化しているため、より厳格な監督体制の構築が求められています。
2. リスク管理とALMの徹底
金融機関の監督において、リスク管理の徹底が強く求められています。特に、経営リスク、信用リスク、マーケットリスクへの適切な対応が重要視されています。経営リスクについては、信用供与先の業況悪化や倒産リスクへの対応が重点的にチェックされています。信用リスク管理では、金利や為替の変動による資産価値の変動リスクへの対応状況が評価されます。マーケットリスクについても、リスク量の把握や適切な管理体制の構築が求められます。 特に中下位金融機関においては、金利リスク管理手法であるALM(Asset Liability Management)の適切な実行が強く促されています。しかしながら、ALM委員会の設置だけで終わっているケースや、委員会の内容が収益予算のフォローに留まっているケースも多く見られると指摘されています。 日本銀行は、考査を通じてALMの重要性を繰り返し説明し、ALMの浸透を図ることで、金融機関のリスク管理体制の強化に努めています。ALMの適切な実施は、金融機関の健全な経営を維持し、ひいては金融システム全体の安定性向上に不可欠であると強調されています。
3. 新たな決済システムへの対応とシステミックリスク
このセクションでは、新たな決済システムの普及への対応と、システミックリスクへの対応について述べられています。アクセス型の金融商品、例えばインターネットバンキングなどを用いた決済方法の普及に対応するための監督体制の整備が進められています。 また、システミックリスクについても触れられており、金融機関が個別にリスク管理を行えば、公的セーフティネットは不要となる可能性が示唆されています。しかし、システミックリスクは発生源から遠く離れた場所にも影響が及ぶため、個別金融機関の対策だけでは対応できない場合があることも指摘されています。 そのため、日本銀行の「最後の貸し手」機能や預金保険制度などの公的セーフティネットの必要性、そして金融機関の流動性確保の重要性が強調されています。金融機関は、預金の大部分が短期で引き出し可能なものであるため、流動性リスクへの対策が特に重要であると述べられています。イングランド銀行の歴史を例に、中央銀行の「最後の貸し手」機能の重要性と歴史的な経緯も説明されています。